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久留米市内の旧日本軍に関係する祈念碑等

・ 明治38年10月日露戦争終結後、日本はロシア等の列強に伍するため
 軍備増強を国の重要な施策としました。

・ 久留米市は、その一環として新設されることになった第18師団を誘致す
 べく近隣の郡長と協議し、陸軍に 対し20万坪を献納。
 (内訳:有馬侯爵 2万坪、久留米13万坪、三井3万3千坪、 三潴1万坪、
 八女5千坪、浮羽2千坪)その努力により各部隊が移駐してきました。
・ この20万坪が牟田山練兵場(2019現在:南町付近一帯)と呼称されました。
 ここは元々雑木林や松林だった所です。
・ 一帯は上津荒木(コウダラキ)村、国分村、鳥飼村が含まれていました。
 この兵舎を含むその造成には付近の村民が挙って馳せ参じ、
 明治41年11月完成しました。
・ さらに陸軍は三井郡上津荒木村の丘陵地100万坪を買収し明治44年8月
 第18師団の演習場とし、明治天皇臨席 による大演習が行われました。
・ これが高良台演習場で牟田山練兵場と共に終戦まで陸軍の訓練場
 として、全国か ら集まった多くの将兵が、 汗と涙と、時には血を流した
 舞台でありここから各地の戦場へ派遣されて行きました。
 そして肉親が待つ故郷に還ることなく英霊となられた方も居られます。
・ その後、朝鮮戦争勃発による米軍の実弾射撃場を経て、現在は自衛隊の
 演習場として使用されています。
 なお牟田山練兵場は終戦後の食糧難時代格好の開墾地として外地からの
 引揚者などの開墾場所に供され 農地化しましたが、現在は殆んど宅地化
 し久留米市のベットタウンとなっています。
・ そして、もと兵舎があった附近は学校などの公共施設や市営アパート群
 があり、各部隊が在った一隅には 有志や遺族によって建てられた記念碑
 がひっそりと建ち往時を偲ぶ事が出来ます。

 当サイトでは幾つかの記念碑を紹介していますので機会があったら
 お訪ねください。



福岡県久留米市は、戦前軍都と呼ばれ多くの軍事施設が有りました。
戦後は空襲などで破壊されたり撤去されたりしましたが、戦後、ここで生活した多くの元軍人や、その遺族などが、旧施設の場所に記念碑を建立し、在りし日の故人を偲ぶ場所となっています。
このサイトはその一部を整理したものです。

面会所だった民家

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